殻の中の夢(2)

   ◆  ◆  ◆

 「さあて、ルイード。もうすぐだぞ!」

 「ま、待ってよレイト!」

 背の高さはほとんど変わりない。足のコンパスに相違は無いはずなのにレイトとのこの速度の違いは何だろう。

 ――何の事は無い。体力の差だ。

 腰の高さまである草を踏み分け地面を波立たせる木々の根を踏み越え息も絶え絶えなルイードは、数メートル先を揚々と行く親友の背を見て小さく溜息をついた。

 小さな頃から体が弱く、常にベッドの上の住人であったルイードは野山を駆け回る村の子供達のような底抜けな元気を持ち合わせていない。

 前を行くレイトは気遣う素ぶりを見せないものの、かなりペースを落として歩いている事にルイードは気づいていた。そうでなければ自分はとっくに一人森の中取り残されていただろう。

 そんなレイトのちょっとした優しさに感謝をしつつ、同時にどこかちりちりと胸に痛いものを感じるルイードであった。

 ――なんだろ、このもやもやした思いは…?

 「なーに考え込んでるんだよっ、お前」

 「…!!」

 視線を足下に落としていたルイードは思わぬほど近くで聞こえたレイトの声に驚いて肩を跳ね上げた。

 ギョッと顔を上げると、すぐ前に呆れたような少年の顔。

 先を行っていたはずのレイトが何時の間にか遅れるルイードの元に戻ってきたのであった。

 「眉間に皺を寄せて難しそうな顔で何考え込んでるんだか、まったく。足が止まってるぞ!」

 「あ、ご、ゴメン」

 「ま、でももうすぐだけどな」

 「…え?もうすぐって…」

 聞き返したルイードの手を取ってレイトは無言でぐいぐいと前へと進む。

 「え、ちょっとっ!」

 前を行くレイトの速度に合わせる為に自然とルイードの歩調は駆け足に成って行った。

 ほんの数分のことだったろうか。それでも息を乱したルイードは、レイトがかき分けた枝葉を乗り越え開けた場所についたところで思わず座り込みたい衝動に駆られ、引っ張るばかりの友人の手を逆にぐいっと引っ張り返した。

 「ちょ、ちょっと待ってよレイト! 息が苦しいんだから…!」

 「……ほれ」

 レイトの背を恨めしげに見上げていたルイードは、彼が伸ばした指先に吊られた様に前方に視線を流す。

 「……あ」

 その光景を見た瞬間、ルイードはえもいわれぬものが体の中を駆け巡るのを感じた。

 「ほら、町の灯だ」

 明るい筈の親友の声音が、まるで壁の隙間から忍び込んでくる冷たい風のようにルイードの心を震わせた。

 ――――特別奇のある光景ではない。

 自分たちの立つ崖の下。レイトの言葉通り、見えるのは町の灯。

「おおー。暗い森の中を通ってきたから街の明りが温かく感じられていいなぁ」

 呟きながら額に手をやって下を覗き込む。

 その横、ルイードは家々から洩れる明りに目を奪われながらごくりと生唾を飲み込んだ。

 ――何だろう。温かいはずの光りなのに…

 町の灯を前にして足が竦み、体は前へ進む事を拒否している。

 ……自分はあの光りの中に行くのを躊躇っている…?!

 ざわりっ。

 背後に佇む森の深い闇がルイードの心情を現すように小さく波だった。

 ――――怖い…?!

 ……なんでそんな感情が…!

 目の前に浮かぶ光りを見つめているうちに胸にじわりじわりと広がって行く焦燥感にも似た思い。その意味する感情に思い至った時、ルイードは愕然とする。

 街に戻る事に対して、自分が何故そんな感情を弾きだしたか。

 ――――怖イ

 …………何が、怖いのか?

 突然、ルイードは踵を返すと灯火明るい街に背を向け元きた森の中に走り出した。

 「お、おいっ! ルイード?!」

 後ろから驚いたようなレイトの声が聞こえたような気がするが、構わずルイードは暗い森の中深くへと走る。

 ――――怖イカラ

 …………怖いって何が?!

 ――――怖インダ。「あそこ」ニ戻ル事ガ

 …………戻る?

 ――――戻ッテモアソコニ僕ノ未来ガアルトハ限ラナイ。

 ダカラアノ時、コチラ側ニ逃ゲタンジャナイカ!!――

 「……ルイードっ!!」

 間近にレイトの切羽詰まった声を聞いたルイードは、はっと顔を上げ、打ち沈んでいた思考を表層に戻した。

 と、その瞬間。

 「……?!」

 地面に絡み付く木々の根を踏み走っていたはずの足が突然その抵抗感を失った。

 体が宙を舞ったのは刹那、

 ――崖が……!

 思考が現状に追い付いた時には、既に足をを踏み外した体は崖下へ落下を始めている。                             

 「ルイード!!」

 大きな呼び声と共に自分の方に思いきり腕を伸ばしてきた幼なじみの姿。

 それがルイードが記憶の途切れる直前に見た最後の光景であった――――。

  

   ◇  ◇  ◇

 「………」

 「リドリー先生!彼は目を覚ましませんよ?!」

 青年は目の前の大きな卵型の物体に手をついて切羽詰まった声を上げると隣の青年を振り向いた。

 ゆったりと束ねた長い髪を背に流しながらリドリーと呼ばれた青年は小さくため息をつく。

 「この国の住人にとって卵の殻の中での眠りは最高に安定してやすらかなるものだから…。例え我々大人でも「その」ベッドからから出たくなくなるものですよ、ジェフ先生」

 「それはっ。…確かに卵から生まれる私達はこの卵型のベッドで寝たら、生まれる前に戻った気分になって本能的に深い眠りについてしまうのでしょうが……」

 何よりもその安定した眠り効果を狙って造られた物なのだ、この卵型のベッドは――

 冷気の行き渡った部屋の中に青年達が落とした白い吐息がひそやかに拡散していく…。

 「――それにね、深い眠りは何かから逃れる為には、とても甘美で都合の良い場所だからね…。何も無い。時間も感じない深い……。そして目覚めた後の現実が幸せかどうか判らない者が目覚めを拒む事は良くある事です」

 ――だから《コールド・スリープ》は危険なものといわれているのです――

 横たわる《卵》に向けたリドリーの視線はは殻を通り越してその中に眠る人物へと向けられていた。つられて卵へと目を動かした青年――ジェフも卵型のカプセルの中に眠る人物へと意識が馳せる。

 「それで目覚めなくなってしまっては医者の私は困ります…っ」

 切迫した事態である筈なのにあくまで淡々と語るリドリーの態度に、ジェフは幾分気分を苛立たせながら語気を強めた。

 「少しでも救う手だてを進歩させる為に彼に眠って待ってもらっていたつもりなのに、起きなくなってしまうなんて……」

 目覚める事ないものの先にあるのは…死。

 ――眠ったまま死ぬ。…ある意味幸せな死の迎え方かもしれないが、生を伸ばす為に入った眠りでそのまま死を迎えるなど本末転倒ではないか…!

 ジェフの言外の思いを正確に読みとったリドリーは、しかし静かなる態度を崩す事はなかった。

 「だから私達のような「管理人」が居るのでしょう?」

 「……!」

 「――眠りに入る前に既に布石は敷いてあります。……あとは《彼》どの様に動いてくれるかが――」

                                      **** コツコツコツ


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