殻の中の夢 (4)

   ◇   ◇   ◇

 ――――――あっ……!

 「やあ、おはようルイード君」 

 「……え?」

 「お目覚めの調子はいかがかな?」

 真上から見下ろしてきた人物が目にいたずらぽい笑みを浮かべてルイードに尋ねた。

 「ええと…。ここは?」

 いまいいち自分の置かれた状況の把握できないルイードはそろりと体を起こすと、きょろきょろと周囲を見回す。

 目に映ったのは白い天井と白い壁。自分が今横たわっているのは…ベッド?

 「僕はさっきまで森の中に居た筈じゃ…」

 「病院だよ」

 まるでルイードのする質問を分かっていたかのように、目の前の人物は自然な表情でさらりと答えた。

 ……そういえばこの人の格好はお医者さんの物だな……。

 ぼうっと思ってからふと我に返る。

 「そういえば…レイトは……!」

 「――『レイト』と言いうのは、君の幼なじみの?」

 「そうです。さっきまで一緒にいて!」

 「ふむ。……最初に掛けた暗示はきちんと機能していたようだね、ジェフ先生」

 「……え?」

  と、そこで初めてもう一人の人物が部屋の中にいることにルイードは気付いた。

 「良かった、ルイード君。目が覚めて。…一時は目覚めなくてどうなる事かと心配したんだよ」

 「……ジェフ先生?」

 目の前に立っていたのは見なれたルイードの担当医である若い医者。顔に安堵の表情を浮かべ、ポンとやさしくルイードの肩を叩く。

 「なんで? ……病院…」

 すっかり混乱した様相で頭を抱えたルイードの様子に、二人の大人はそっと顔を見合わせた。

 ふうと小さく溜息をついて口を開いたのは、最初にルイードが見た青年。

 「――君は『夢』を見ていたんだ」

 「『夢』?」

 「そう。『冷凍睡眠』のカプセルの中で」

 「『冷凍睡眠』 ………あっ」

 ――コールド・スリープ!

 「思い出したようだね」

 口元に手をやって声を上げたルイードに、ジェフは優しく声をかけた。

 「そう。君は半年前、病気の治療法の発達を待って冷凍睡眠に入った。

 だけど期限が来て解眠を行おうとしたんだけど目覚めなくてねぇ」

 「目覚めなかった……?」

 ――そうだ。僕はあの『森』から出ることを…『目覚める事』を躊躇っていたんだ。

 半年前、病の完全治癒の為に手術の話しを持ち出されたのだが、成功率はそう高いものではなかった。その為治療法の進歩を待ってコールド・スリープに就いたのだ。

 治療の進歩を待つ為に眠りに就いた…?

 否。ただ自分は手術を受けるが怖かっただけ。成功するかどうか分からない手術を受けるのが怖くて眠りの世界へと逃げ込んだ。

 ――そして今度もまた――目覚める事から逃げた

 怖くて。目覚めた後に待ちうけている宣告を聞く事が恐ろしくて。

 「――先生。それで、病気の治療法のほうは……?」

 心の揺れを押さえきれずに微かに声を震わせ、ルイードはジェフの顔を振り仰ぐ。

 「……それは。君には酷な話しと成ってしまうが…。治療法の躍進はそれほど顕著なものでは無くってね。手術をして成功する確率は五分五分くらいなんだ」

 「そう、ですか」

 ぽつりと感情を押さえ込んでルイードは呟いた。

 辛そうに歪んだ医師の顔からするりと視線を外してそのまま己の手元に目を落とす。ルイードは汗ばんだ手を強く握り込んで、下唇を噛んだ。

 ……そう、この言葉が怖くって!!

 ――解っていた筈だ。半年前よりも少しは確率が上がっているとはいえ、まだ5割。…これが怖くて僕は目覚める事を拒んでいたのだから……。

 耳鳴りがする。申し訳なさそうな響きを持った先生の言葉が壁で隔たれた向こうから聞こえてくるようにくぐもっていて。

 「――だけど君は目覚めただろう?」

 突然掛けられた言葉にルイードは弾かれたように顔を上げる。

 頭が現状を把握し始めた今、ルイードは目の前の青年にも見覚えがあったことを思い出す。確かコールドスリープの管理人だとかいうリドリー先生?。

 「僕は……目覚めた。 だけどそれは夢の中でレイトが導いてくれたからだ…」

 幼なじみのレイト。まるで現実世界に居る時と変わらぬ心強さで、夢の中でも自分の背を押してくれた――

 「そう。幼なじみのレイト君。――冷凍睡眠に入る前、暗示で創り出したね」

 ………え? 暗示?!

 「よく思い出してご覧。本当に君には『幼なじみのレイト君』は居るのかな?」

 「――っそんな馬鹿な! レイトは……!!」

 とんでもない事をいう青年に返そうとした言葉は、しかし途中で途切れる。

 ――思い出せない?! 過去10年を思い返してみて…レイトという幼なじみの存在が!

 言葉を失った少年の目の前にリドリーはすっと手を差し出した。ゆっくりと開いた手のひらからこぼれ出た、卵の欠片のようなソレは澄んだ輝きををルイードの瞳に映す。

 コツ… コツ ン……

 「…! その音はっ」

 「冷凍睡眠に入る人達は、目覚めた後に必ずしも嬉しい知らせが待っているとは限らない。そういった不安な精神状態で長期間深い眠りにつく所為か、解眠の時がきても目覚めない人が多いんだ。

 ――――そこで、解眠の時期が訪れた時に覚醒を助ける存在が現れるよう記憶に擦り込み暗示を掛けるようにしてね。君の場合『心強い幼なじみ』というキーワード。

 この音を聞いた時に君の夢の中でそういったキーワードを持った人物が生まれるように、眠りに就く前に暗示を掛けたんだ。……つまりソレが『レイト』君だ」

 「……じゃあ、光りの中に僕を導いてくれたのは暗示で創り出された存在だったの…?」

 ぽっかりと胸に穴が開いてしまったかのような喪失感に呆然と前を見つめるルイードの肩にそっとリドリーが手を置く。

 「私は君が夢の中で何を見てきたかは解らない。だけど目覚めたのは誰の力でもない、君自身の力によるものだというのははっきり解る」

 ――僕の力? だってあれは『暗示で創り出されたレイト』が…!!

 「――何故なら私が暗示で擦り込んだのは『レイトという名の心強い幼なじみ』というキーワードだけで、そこから夢の中に君の言う『レイト』という存在を創り上げたのは他ならぬ君自身だから」

 「僕がレイトを創り上げた……?」

 「そう。つまり『レイト』=『ルイード君』という事だね」

 「……え?」

 リドリーの唐突な言葉に理解が追いついて行かない。しかしその時、空虚を抱えた胸の中を爽やかな一陣の風が通り過ぎたような気がした。

 「レイトが君に対して言った言葉は、君自身が生み出した言葉。

 つまりルイード君がレイトの言葉…考えに背を押されて目覚める事が出来たとするなら、

君は自分の考えによって目覚めたと言う事だ。

 ――君は夢の中で出てきたレイトと同じ考えを出きる人間だと言う事だよ」

 ――じゃあレイトが言っていた言葉は……

 考え込むように俯いたルイードに、リドリーは繰り返し言葉を紡ぎ出す。

 「君は誰かの言葉に背を押されて目覚めた訳ではない。……自分自身の心の言葉で、自分自身の勇気で目覚める事が出来たんだよ」

 「僕の中には、勇気がある…?」

 戸惑ったように首を傾げる少年に、リドリーはやさしく目元を下げて頷いた。

 ――手術からも逃げ、目覚める事からも逃げた僕の心の中にも勇気があったんだ。

 僕の心の奥底に追いやられていたなけなしの勇気。それが『レイト』だったのだろうか…?

 心の中に溜まっていた冷たく堅いしこりが、どこからともなく生まれ出た温かい光を受けて溶けていく。温かい…崖の上から自分を引っ張り上げてくれたレイトの手の温もりが思い起こされ、ルイードの瞳からは無意識の内に涙の粒が零れ落ちていた。

 自分が泣いている事に気付いているのかいないのか。白いシーツにしみを作り続ける涙を拭いもしないルイードの様子を、二人の青年はただ静かに見つめている。

 少年の頬が涙の跡だけを残し乾いた頃、ジェフが沈黙を破りゆっくりとルイードに向けて言葉を掛けた。

 「ルイード君。起きたばかりでなんだけど、これからのことを考えなくてはいけないんだ。

 ――どうする?手術を受けるかい?」

 半年前にも同じようにジェフの口から尋ねられた言葉。あの時は怖くて逃げ出したけど…

 「……はい。お願いします」

 完全に不安を払拭出来ているわけではない。しかし、今のルイードの顔にはしっかりとした決意の色が浮かび上がっていた。

 ――何もしない内から諦めたくはない。もう夢(殻)の中に逃げ込む事はしない…!

 ルイードは内に篭ったものを吐き出すように溜息をついて、目を閉じた。

 夢であったはずなのに、不思議とあの崖を登った時の蔦の感触、体中の筋肉が悲鳴を上げる様、……そして登りきった後のえもいわれぬ充足感を思い起こす事が出来る。

 『俺は努力した分報われただけだぜ?』

 ――そうだね。報われる事を望むのならば、僕も努力をする事から始めなければいけないよね、レイト――

 閉じた瞼の裏で、太陽のように明るい顔の少年が笑ったような気がした。

             ****コツコツコツ… 夢を包む殻が、破れた


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