イシンシア第2部 第四話



  さしのべられた手 』

 

あたりは、一面薔薇の園。


かつてここに広がっていた、桃色の水晶は既にない。

変わりに咲き誇ったのは、かわいらしい薔薇という花。


彼女は昔のことを思い出し、ふふと苦笑いした。





「おいでよ。」

”彼”は自分に向かって手を差し伸べる。

この土地に”薔薇輝石”という水晶に守られ、眠っていた自分を起こした彼。

いい気分で”待ち人”を待って穏やかなまどろろみについていたのに。

そんな自分を無理やり大声でひっぱりだして、この子供は何を言っているのだろう?


「来いよ、一緒に待ってやる」



差しのべられた手に一瞥をし、少年の顔をのぞく。

美しい深い緑色の瞳が自分の瞳をとらえる。

自分の考えとは違う言葉が口からこぼれた。


「・・・・そこまでいうなら、しょうがないわね・・。行ってあげるわよ。
でも言った事、責任持ってよね。一緒に待って貰うわよ。」

はにかむ自分の手が、勝手に彼の手を握る。


(あたたかい・・・)


どうしていいか分からず、困ったように少年をみる。

少年は肩を竦ませて微笑んだ。

やわらかい春の日差しのような笑顔。


「そういえば、名前は?」

「・・・ローズよ、ユアン。・・・よろしく頼むわよ。」






どのくらいの月日がったったのだろう、

すでに彼は自分より背が高く、その声はひくく、かつてのそれとは大きな違いをわかりやすく示している。

最初に会った時の幼さは薄らぎ、一人の青年として成長した。

そして自分も何年も前に、閉ざされた時間から解放され、彼と一緒に成長してきた。

(本当なら、本来の時間に生きていたら自分は今ここにはいないわね)

─だって自分は百年以上も前にその時間を止められていたのだから。

苦笑いしながら、かつての薔薇の精”ローズ”は膝をかかえて座り込んだ。

ここからだと王城とその街の姿をよく見ることができる。


深いため息がでた。


私の帰る場所はもうここだけ。

かつて自分が存在していた国はもう自分の居場所ではないから。

この優しい国こそが今自分が存在できる場所。

そして、それを認めてくれたのは、ここの人たち。

そしてこの国の主、あのとぼけたタンポポ頭の青年だ。


そして、認めたくはないが自分はその彼と同じ時間を共有したいと願った。



(・・・・別にユアンが誰と一緒になろうと関係ないけど)


膝をだく両腕に顔をうずめる。


昨日の出来事が頭によぎる。

若いイシンシア王に愛らしく好意を見せるブロンドの可愛らしいお姫様。

今はもう何もない自分とは違い、容姿も身分もそろったお嬢様だ。

素直に考えれば、彼女がこの国の人間になることは、好ましいことに違いない。


ただ、自分の中で素直に喜べない気持ちがふつふつと湧いて黒いものでいっぱいになりそうになる。

(・・・・どうしたらいい?・・私は、どうしたい?・・・)


ぐっと噛んだ唇が痛い。

本当はどうしたいのか、わかってるはずなのに。それを認めることができない。

ふと頭に彼のはにかんだようなやさしい笑顔が浮かぶ。



(本当はずっと──)





「ローズ。」


突然、やわらかい落ち着いた声がかかった。

振り返ると、一人の藍色の髪の背の高い青年が茂みから現れた。

「こんなところにいらしたんですね。」

ふっとほほ笑むその顔はやわらかさを湛えながらも、気品と自信に満ちている。


「 レイルズ王子。どうしてここが?」


「貴女の事なら何でも・・といいたいところですが、無口な門番から聞き出しました。」


「無口な門番?・・ああ、よく彼から返答を貰えましたね。」

意外な答えにふと、ローズが顔をほころばせた。


「──いや、ちょっと骨を折りましたが。」


アーシュレイの第一王子は笑いながらそういうと彼女の隣に立ち、手を伸ばした。

細くきれいな右手が少女の瞳に映りこむ。


「探しました。・・・私と・・一緒に帰りませんか?」


「・・・もう少し、ここに居るわ。一人で帰れますから、大丈夫。」


ローズは横に立つ背の高い青年を見上げながら、困ったようにほほ笑み返した。

しかし、その断りにも関わらず青年の手は彼女を無理やりにひっぱりあげる。

突然のことに びっくりして立ち上がりよろめくローズをレイルズが優しく抱きとめた。

彼の香水の香りだろうか。薔薇とは違う香りが鼻につく。



「レイルズ・・?」



「・・・・いえ。イシンシアの城ではなく・・・アーシュレイへ、一緒に。」


耳元でささやくように彼は言う。


「・・何を・・」


「貴女はいつも僕の求婚を冗談だと本気にしてくれませんでしたが、僕はずっと本気でした。

・・・或いは貴女はわかっていたのに、わからないふりをしていたのか。」

「・・・・」


「・・・ユアンの事が気になりますか?」


「それは・・・」



「不本意ではありますが、奴はルルリアと一緒になるでしょう。

失礼かもしれないが、このような小さな国は大国の支援が必要だ。

悪い話じゃない。 大臣達も推奨するはず。・・・そうなったとき、貴女は今まで通り

ここに居ることができますか? 」



ローズの両手が突っぱねるようにレイルズの大きな体を自分から引き離す。


「・・・できます。ここは私の故郷だもの。」


「・・・僕は貴女の事をユアンと同じくらいには知っていますよ。

貴女の元居た場所も。 わかっているつもりで言っています。」


心臓を掴まれたような顔で元薔薇の精であり故郷を失った元王女でもある少女は

正面に立つ青年を見上げた。


彼はもう一度彼女の手をとると、ほほ笑んだ。


「少し、考えてみて下さい。この機会に。僕の事を本気で。」








     ―完―





                          


  背景:トリスの市場
                                                                                       

               

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