イシンシア第2部 第三話



  王様と隣の国の王様 』

 

 

─決して手出しをしてはならぬ─





窓の外、いつものように青々と穏やかに広がる空を、その男は”心ここにあらず”といった顔で見上げていた。

顎にぼちぼちと広がる青髭を、ぞーりぞーりと、宝石をがっつりつけた左手がなぞる。



─あの国には決して手出しをしてはならぬ─



病床に伏せた前王が自分の手を取りながら息も絶え絶えに事づけたその言葉。


─あの国には決して手出しをしてはならぬ─



それが、この国の王に課せられる掟の一つ。




否、この国だけではない。周辺の国の王は、その役を授かる時に同じ掟を与えられているようだ。




そもそも、特にとりえもない小さな国を攻めようとする気もないが、

掟に背くと自国に大きな禍がもたらされる、となれば触らぬ神に祟りなし、だろう。



それにしても、だ。


あのような平和ボケした─ましてや、子供が王を務めているあの国に一体何があるのだろうか。


男─アーシュレイ王国王トレイアの脳裏に、あのうら若い元気な王の姿が浮かぶ。

自分の息子より2つ程下だったか。



──ふわふわとした淡黄色の髪と、深い緑の瞳をしたちょっと生意気な少年。


失礼にも王たる自分のことを「おっちゃん」と呼ぶ彼をトレイアは気に入っていたし、


なんとなくも自分も行くと呆けた気分になる、あの平和ボケした国も気に入っていた。


あの国を崩壊させようとは夢にも思わない。が自分の手中にできるとしたなら──。

あの幸福で作られた国が自分のものに──。

彼は太く皴のよった自分の手をじっと見つめる。




・・・・ふいと口に笑みがよぎった。








・・・・攻めるのではなく。友好的な方法であれば。

掟に逆らうことにはならないだろう。





「およびですか?」




広間の扉が開いて、すらりと背の高い藍色の髪の青年が入ってくる。


はっとしてトレイアは後ろを振り返る。

「─お・・おお、レイルズ。まっとったぞ。」



「お待たせしてすみませんでした、父上。」



優雅に一礼をして入ってきたのは彼の一人息子でありこの国の第一王子である。

その物腰と風貌を眺めやりながら、王は立派な息子の姿に満足を覚える。




「実はな、・・・ ルルリアももう16だろう?」




「──は?・・・ええ、確か、そうですが・・」



ルルリアはレイルズの妹であり、いわばこの国王女のことである。

何の事か分からずも豆をくらった鳩のような表情でレイルズは答えた。


「そろそろ嫁にやろうと思ってな。──悪くはないだろう。」



「──嫁、ですか?」


一瞬、思いもよらなかった言葉にその秀麗な顔が呆ける。

しかし、すぐに内容を把握すると顔をしかめた。

王家の娘となれば政略結婚の道具。

致し方ないが─、と困惑と不服が混ざった表情で王子は父を見上げる。


「・・・・それが父上のご判断というのであれば。

ただ、たった一人の大事な妹。

よき国へ嫁ぐことを願いますが。」



「うむ、それなら問題ない。お前も納得するだろう。」


トレイアは顎の青髭をゾリゾリ右手でいじくりながら、うんうんとうなずいた。


「現世で一番平和な場所だからの。」


「一番平和・・・?そのような・・・」


レイルズの目がはっと見開いた。


「まさか父上・・・あの・・・」

珍しくはらはらとレイルズが慌てふためき始めた。
いつもは冷静な思考回路が一気に混乱を初めている。


「うむ、としたなら、善は急げじゃ。」


一方、自分の考案が秀逸のものだと、うきうきとしながらアーシュレイ国王は
広間を飛び出した。



「おい、誰かおらんか!ルルリアを呼べ!

ルルリアを行儀見習いに行かせるぞ!


──イシンシアへ!」



































 

 



     ―完―





                          


  背景:トリスの市場
                                                                                       

               

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