薔薇渓谷の少女。



 一体どのくらいの間、待ちつづけているのだろう?
     眠りつづけて、一体どのくらいたったのだろう?
        いつ来るか分からない「何か」を待って・・・・


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 薔薇渓谷。それは、
小さな森<<沈黙の森>>に入って、少し奥に行ったところにある。
まだ誰も通り抜けた事のない、渓谷。そこにはこんな言い伝えがあった。

”桃色と葉色の幾重にも重なった水晶群の奥。そこには神聖なる<<薔薇輝石>>がある。
<<薔薇輝石>>は一つの薔薇を閉じ込めた淡い紅い水晶。
そして、その薔薇は何かをずっと待っている。 ずっと昔から。”

そして、これはイシンシアのユアンが、国王になって間もない頃のお話・・・。




「ユアン様、またどうして・・・。誰も通った事のないと言われる薔薇渓谷へ行くなんて・・。
それに<<薔薇渓谷>>に入ることはタブーなのですよ?」

黒髪の少年が、隣で歩く淡黄色の髪の少年に話かけた。

うっそうと茂る森の中を二人の少年が歩いていく。この森の名を「沈黙の森」という。
そしてその名のとおり、二人の少年のまだ高い声以外、物音、気配はしない。

「いいんだよ、俺が王様なんだから。それに、王様は、国の中をよく知っておく必要があるだろ?
 大臣のくせに、そんなこともわかんねーの?」

国王ユアンはそういうと、「してやったり」といった表情で、隣を歩く大臣、イトシンを見た。
ユアンの緑の瞳が悪戯っぽく輝いている。

「・・・そんな立派な理由ではないと思いましたから。どうせ面白みたさでしょう?」

冷淡な視線でイトシンは、自分より幾分か背の低い幼い国王を見下ろす。

「むう・・・・ふ〜んだ。別に来たくなきゃ、来なくたって良かったんだぞ、イトシン。」

飄々とした大臣少年の態度に、ユアンはむすっとして歩く速度を速める。

「あっ。お待ちください。・・・王様を一人で外に出すわけには行かないでしょう?
それにユアン様が何をしでかすのか心配なんですよ、私は。」

イトシンも、足を速め、ユアンの速度にあわせた。そして、お小言にも拍車がかかる。

「もう、そうやってすぐに不貞腐れる。ユアン様の短所ですよ。
あなたはもう正式にイシンシアの国王なんですよ?もっと、マーロウ様のように・・」

「んもう〜。煩いなぁ〜。・・・・・イトシンの短所はその姑みたいなところだな!」

ユアンはそういうと、大臣を残して駆け出した。
軽い身のこなしで、あっというまにイトシンの視界から消えうせる。
行き先はわかっているので、イトシンはあえて追いかけようとはしなかった。

「・・逃げ足だけは、マーロウ様よりも優れているかもしれませんね・・・。
全く、世話がやける・・。」

15歳の大臣は歳に似合わず、育児に疲れた母のような顔をした。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


<<沈黙の森>>を抜けたそこに、<<薔薇渓谷>>あった。美しくも桃色と緑色の水晶で作り上げられた、
巨大な自然の芸術作品だ。はじめてみるその渓谷の美しさに、ユアンは声を失う。

「これが<<薔薇渓谷>>か・・・!」

ユアンは周囲を探索してみる。水晶に手を当てると、ほんわか暖かかった。
しかしユアンは、はっとしてすぐに手を離した。その表情は複雑そうだ。

「・・・・?。」

ユアンは渓谷の入り口から奥を覗いた。美しい水晶群が奥の方まで続いている。
じっと渓谷をみるユアンの表情はいつになく真剣である。
どうやら、何か考え事をしているようだ。

「ユアン様?入らないのですか?・・・それにしても美しいところですね。」

不意に後ろから声がかかる。言わずもがな、イトシンだ。今森を抜けてきたばかりのようだ。

「んー・・・。いや。そうだ、イトシン。この渓谷がどうしてできたのか、とかって知ってる?」

二人とも先程の言い争いのことは既に終了しているらしい。
ユアンの不機嫌さも既に見当たらない。

「言い伝えによると、<<薔薇輝石>>を守るように、これらの水晶群が現れたということですが。」

「ふうん・・・・そか。・・・・ちょっと入ってみるか。<<薔薇輝石>>が見てみたい。」

「でも、話によると、『誰も』その<<薔薇輝石>>を見たことがないとのことですが。」

「・・・・でも『誰も』見たことがなきゃ、<<薔薇輝石>>なんて言葉はどこからきたんだ?」

「成る程・・・それもそうですね。」

二人は、キョロキョロとあたりを見回しながら、中へと入っていった。
あたりは一面巨大な水晶で覆われ、僅かに覗く空はどんよりとしている。
明るい街の周辺とは雰囲気が違う。ただ、美しくはあった。でもそれは何処か・・・寂しい美しさ。

「まるで迷路のようですね・・。これですかね、『誰も通り抜けたことがない』という理由は。」

イトシンが代わり映えしない周囲にため息をついて、ユアンを見る。

「・・そうかもな。」

ユアンは何処か心ここにあらず、といった様子である。その様子にイトシンは首をかしげる。

「あ、入り口に戻ってしまいましたよ。・・・もともと出口がない所じゃないんですか?」

二人はいつのまにか、渓谷の入り口へと来ていた。眼前には先程通り抜けてきた<<沈黙の森>>がある。
イトシンが諦めて帰りましょう、というのに対し、ユアンは不服そうに呟いた。

「・・・でも<<薔薇輝石>>はある筈だ。」

「ユアン様・・。またそんな根拠のない・・・。」

イトシンが困ったような顔をしてユアンを見る。しかし、ユアンはイトシンの方の話に耳を傾けようとも
せず、複雑そうな顔で渓谷を睨んでいる。そして、何か思い立ったように渓谷の奥に向かって叫んだ。

「お〜いっ!!王様が直々に来てやったんだぞっ!!・・いいか〜っもう一回入るぞっ!!」

イトシンはその様子をぽかんと見ていた。いまいち主君が何をしたいのかが分からない。
しかし、不意に大気が揺れるのを感じた。イトシンはユアンを見る。

「行くぞ、イトシン。」

ユアンは、イトシンの方に目も向けず、再び渓谷の中へ足を踏み入れた。


  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 先程と全く代わり映えのない水晶の間を二人は進んでいく。しかし、何かが何処か違う気もしないで
もない。目では分からない、ただ体のどこかが感じとる「違い」・・・・。

しばし歩いていくと、不意に広いところへ出た。先程通った時にはなかったところだ。

「あ・・・・・。まさか・・・。」

イトシンが前にあるものに、吃驚して声を上げた。

「あったな・・。」

ユアンが頷く。

二人の目の前にあったのは、小さいが、美しい薄紅の水晶。そして、その中には紅い薔薇が一輪。

「これが・・・・薔薇・・・輝石・・・?」

イトシンが近づこうとした時、何処かから声が聞こえてきた。

『・・・誰なの?』

それは高い可愛らしい声だ。ただ、口調はとげとげしさを含んでいる。

「イシンシア第八代国王ユアンと、大臣のイトシンだ。」

ユアンが、<<薔薇輝石>>を見ながら言った。

『国王?』

すると、突然水晶が緋色に光り、虚空から桃色の髪の少女が現れた。音もなく地に舞い降りる。
髪の色の同色の簡素な衣装がふわりと揺れた。

「・・・・何しにきたの?・・・何で私を起こすの?」

少女は薄い紅の瞳で、ユアンを睨んだ。

「君は・・・?」

イトシンが横から声を掛ける。

「私はこの薔薇の精よ。」

少女は目だけイトシンの方を向けて答えた。
しかし、直ぐにユアンの緑の瞳に紅い瞳を向ける。。

「・・何でって。お前はそう望んでいたんじゃないのか?」

ユアンが呆れたように少女を見る。
少女は、少し驚いたように目を丸くさせ、視線を逸らす。。

「まさか・・・だって、私は待たなきゃいけないんだもの。」

「何を?」

「・・・・分からない・・。でも、ずっと待っているの。『何か』が来るのを。
待たなきゃいけないの。・・・約束だから。」

「約束?」

「そう。約束したのよ。・・・ずっと昔・・・・だから待たなきゃ。」

「でも、寂しいんだろう?」

「・・・寂しくなんか・・。」

「ここの水晶に触れたとき、感じたんだ。ぬくもりはあっても、寂しさを。」

少女は、はっとしてユアンを見る。
その表情には先程の強さはない。

「・・・・一体どのくらい私は『それ』を待っているのかしら。
もう何故それを待っているのかも分からない。
・・・でも、待たなきゃいけないのよ。」

それに対し、ユアンが不服そうな顔で少女を見る。

「つまんねーじゃん、そんなの。一人で待つなんてさ。」

少女は燃えるような瞳でユアンを見る。

「煩いわね!あんたにそんな事言われる筋合いはないでしょ!
ほっといてよ!私はそのためにずっと・・ずっと。」

「待つことがつまんない事だとは言ってないだろ。
一人でまたなきゃいけないってのが俺はつまんねーって言ってるんだよ。
皆と一緒に待てばいいじゃん。」

「え・・・?。」

「来いよ、一緒に待ってやる。一人で待たなくたっていいじゃんか。
どうせ待つんなら、楽しく待てばいい。なぁ、イトシン?」

「え、あ、え?・・はぁ。」

突然、話を振られ、イトシンは戸惑いながら返事をする。

「ほら、イトシンもそう言ってる。」

「・・・・でも。」

「じゃあなんで、俺達に道を開けたんだ?」

「それは・・・。・・・・気づいてくれたから。」

少女は唇を噛んだ。

「おいでよ。」

ユアンは少女に向かって手を差し伸べる。

薔薇の精の少女は、ユアンの瞳を見て、初めて微笑んだ。

「そこまでいうなら、しょうがないわね・・。行ってあげるわよ。
でも言った事、責任持ってよね。一緒に待って貰うわよ。」

少女はそういって、ユアンの手を握った。

ユアンは肩を竦ませて微笑んだ。

「そういえば、名前は?」

「ローズよ、ユアン。よろしく頼むわよ。」



イトシンは二人の様子を見守っていたが、不意に額に手をあててため息をついた。

「どうやら、ユアン様が二人に増えることになりそうだ・・・。」

しかし、その瞳はどこか優しげだった。

<<了>>

本を閉じる